実はウイスキーには、様々な歴史のドラマが隠されています。
知識や技術を受け継ぎながら形づくられてきたのです。
また色々な歴史上の出来事ともリンクしていて、非常に面白く興味深いです。
そこでその成り立ちや発展の歴史を、わかりやすくまとめてみました。
ウイスキーの歴史とそのドラマを紹介!
ウイスキーから紐解く世界史、と言ってもいいかもしれません。
歴史上の事件とウイスキーの発展が織り成す、壮大な歴史スペクタクルをご覧ください。
僕自身ウイスキーが大好きです。また大学では西洋史専攻でした。歴史の授業なら任せてください。
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ウイスキーづくりには様々な技術が用いられています。
それらは長い歴史の中で生み出された、知恵の結集でした。
① 麦芽による発酵
② 蒸留による成分抽出
③ 木製の樽による長期熟成
また幾つもの歴史的な出来事が、ウイスキーの発展に関わってきました。
まさにウイスキーは、歴史に紡がれた製品だと言えるでしょう。
まずは古代から中世にかけての、酒づくりの歴史を見てみましょう。
またウイスキーに欠かせない、蒸溜の技術にもスポットを当てていきます。
麦芽を発酵させるという技術は、古代メソポタミアの頃から既にありました。
シュメール人が残した「モニュマン・ブルー」と呼ばれる粘土板に、当時のビールのつくり方が描かれています。
ワインも古代文明の頃からつくられていました。
放置された麦の粥に酵母が入り込み、自然に発酵したのが起源とされています。
ビールなどの醸造酒は、古代文明の頃から既につくられていたのです。
中世イスラム世界において、蒸留の技術が確立しました。
その要因は錬金術の発展にあります。
錬金術は、今の化学の原形とも言えるものでした。
当時のイスラム世界は、ギリシアの学問を取り入れたことで高い文化水準を持っていたのです。
また英語で錬金術を意味するアルケミー(alchemy)は、アラビア語が由来です。
アルコールも、アラビア語のアル・コホルが語源です。
12世紀以降、イスラムの錬金術がヨーロッパにも伝わり広まりました。
この時代においてイスラムの文献を大量に翻訳して、その知識や技術を取り込んでいったのです。
そして錬金術は盛んに研究されていきました。
またその中で、蒸留酒の製造が始まっていきます。
蒸留酒は「生命の水(アクアヴィッテ)」と呼ばれ重用されました。
蒸留酒はスピリッツとも言いますね。
それではウイスキー誕生の歴史を見ていきましょう。
受け継いできた技術と歴史的な偶然が重なり、ウイスキーは生まれました。
アイルランドやスコットランドにおいて、大麦の蒸留酒が盛んにつくられる様になっていきました。
確認できる最古の文献は、1494年のスコットランド王室における記録です。
「王の命令により、大麦麦芽からアクアヴィッテをつくらせた」という内容の記述があります。
この頃はまだ無色透明のスピリッツでした。
現在の様なウイスキーができたのは、18世紀になってからでした。
まず1707年にイングランドとスコットランドが合併されます。
それから蒸溜所には重税が課される様になりました。
これにより業者は地下に潜り、蒸留酒を密造するようになっていきました。
現代のスコットランドは、法律、教育、宗教など様々な面で独自の自治を行っています。
そして密造業者らは、ウィスキーを樽に入れて様々な場所に隠しました。
この結果として、樽での長期熟成という効果がもたらされたのです。
深い香りや風味があり、琥珀色を帯びたウイスキーができ上がりました。
バーボンウイスキーは、アメリカ建国当初からつくられていました。
1789年にエライジャ・クレイグ牧師がつくり始めたとされます。
そして建国してすぐのアメリカでも、ウイスキー税が導入されました。
これにより各地で反発や暴動が起こります。
また多くの業者が、アメリカ政府の管轄外であったケンタッキーやテネシーなどに逃れました。
そしてウイスキー生産の中心地となっていきました。
アメリカはイギリスの植民地だったので、もともとウイスキー製造が盛んでした。
19世紀に入ると、連続式蒸留器が発明されました。
2つから4つの塔で形成され、効率よく大量のスピリッツを生産できる装置です。
これによりブレンデッドを中心に、ウイスキーの生産量が飛躍的に上がりました。
生産量が増したことに加えて、歴史的なブドウの凶作がウイスキーをさらに広めました。
19世紀後半、ブドウへの害虫被害がフランスを中心にヨーロッパ全土に広がりました。
ニューヨークから持ち込まれた苗木についていた、昆虫によるものでした。
フィロキセラという害虫でした。ブドウの根につくため、対策が難航したそうです。
ヨーロッパブドウは壊滅に近い被害を受け、ワインやブランデーの生産も激減しました。
このとき代替品としてウイスキーが広まったのです。
それでは、20世紀から現代に至るまでのウイスキーを見てみましょう。
もとはヨーロッパの地酒であったウイスキーが、世界中で親しまれる様になっていきました。
20世紀初頭のアメリカは禁酒法の時代でした。
アルコールの製造・販売・運搬を禁止するという法律が制定されていたのです。
ウイスキーの蒸溜所はほとんどが閉鎖され、また違法販売や密造が横行しました。
この機に台頭したのが、カナディアンウイスキーでした。
そして禁酒法は1933年に廃止されます。
密造酒はギャングの大きな資金源となりました。禁酒法により逆に様々な犯罪が増えたのでした。
日本で本格的なウイスキー生産をスタートさせたのが、鳥井信治郎と竹鶴政孝です。
竹鶴はスコットランドに留学して、ウイスキーづくりのノウハウを学んでいました。
そこで鳥井は、自社の寿屋に竹鶴を招いて入社させます。
そして1924年、日本初となる本格的なウイスキー蒸溜所を建設しました。
これが今日も続く山崎蒸溜所です。
以降日本においても、品質のいい本格的なウイスキー生産が始まりました。
ハイボールや水割りなど、日本風のウイスキーの飲み方も定着していきました。
それまでウイスキー市場は、ブレンデッドウイスキーがほとんどでした。
それが20世紀後半からは、シングルモルトウイスキーの人気も高まります。
1980年代頃から、続々と市場に出回るようになりました。
蒸溜所ごとの強い個性、豊かな香りや味わいが多くの人の心をとらえたのです。
シングルモルトは非常に人気のあるジャンルとなりました。
21世紀に入ると、世界中でウイスキーの消費が拡大していきます。
先進国だけでなく、新興国含め消費が伸びていきました。
シングルモルトも根強い人気で、ウイスキー人気を牽引しています。
また2000年代頃から、ジャパニーズウイスキーが世界的に評価されていきました。
2010年代頃からは、日本国内でもハイボールブーム、ウイスキーブームが起こります。
竹鶴政孝と妻リタを描いた連続テレビ小説『マッサン』の人気も影響しました。
世界的なウイスキー人気とも重なり、大手でも原酒が不足する事態になっているほどです。
ウイスキーは低糖質なので太りにくいです。普段飲みにもおすすめですよ。
ウイスキーの歴史を、わかりやすく解説しました。
それらは長い歴史の中で生み出された、知恵の結集でした。
また偶然のドラマの中で生まれたものでもありました。
そして今日におけるウイスキーは、世界中で親しまれる存在となったのです。