ジョーゼフ・キャンベルをご存知ですか?
僕が人生において、最も影響を受けた人物の一人です。
まさに、人生観や価値観を変えるほどの感銘を与えてくれました。
是非、多くの人にその素晴らしさを知って欲しいです。
という訳で、ここでは名著『神話の力』の内容を精査し、解説&要約をしてみました。
珠玉の名言が随所に散りばめらた、人生を歩む上での知恵の言葉です。
その魅力や価値が上手く伝わればと思います。
キャンベルはまさに知の巨人です。世界各地の神話や歴史に関して、莫大な教養と知見を持っていました。
1904年アメリカはニューヨーク生まれ。
サラ・ローレンス大学で長年教職に就く傍ら、世界各地の神話の比較研究に多くの業績を残す。
主な著作に『千の顔を持つ英雄』、『神の仮面』などがある。
1987年没。
ジョーゼフ・キャンベルは、アメリカの著名な神話学者です。
「比較神話学」という分野で大きな功績を残しました。比較神話学とは、異なる文化圏の神話を比較研究する学問のことです。
「英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)」というキャンベルの見出した研究成果は、現代においても多大な影響を与え続けています。
キャンベルは晩年に、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談を行いました。
このインタビューの様子はテレビ番組として放送され、その後に書籍化されました。
キャンベルの著作は他にもありますが、対談形式のこの本が最も読みやすいです。
その内容を精査して要約しました。
人間が本当に探求しているのは、たぶん生命の意味ではありません。
人間が本当に求めているのは、「今生きているという経験」だと思います。
神話は人間生活の精神的な可能性を探るかぎです。
純粋に物理的な次元における生命経験、自己の最も内面的な存在ないし実体に共鳴をもたらす。
それにより、生きている無上の喜びを実感する。
結局そこがいちばん肝心なところです。生きているという経験です。人間はそれを求めているのです。
神話は、私たち自身のうちにそういう喜びを見出す、手助けとしてのかぎをもたらします。
私が出会う学生たちは神話に大変な興味を示します。
神話は彼らにメッセージをもたらすからです。
それはみな生活の知恵の物語です。
文学や芸術の背後にあるものを教えてくれますし、自分自身の生活についても教えてくれます。
神話は、幼少期から大人の責任の世界へ入っていく時に経験する加入儀礼など、人生の様々な段階と深い関係を持っています。
そういう儀礼的な行事のすべてが、神話的な儀式なのです。
それは、あなたがこれから引き受ける役割の自覚と深く関わっているのです。
言い換えれば、古い役割を捨てて新しい役割を演じる、責任のある立場を取るという過程です。
様々な儀式や行事が神話と関わっています。お盆に正月、クリスマスにハロウィン、オリンピックもそうです。
神話を持つことをやめた社会がどうなるか?
いま私たちが手にしているものです。新聞を読みさえすれば、神話を失った社会が何を意味するかわかります。現実は混乱あるのみです。
文明社会でどう振る舞えばいいか分からない若者たち。
社会は彼らに、コミュニティのメンバーになるために必要な儀式を与えてこなかったんですね。
人間が社会に奉仕するのではなく、社会が人間に奉仕すべきです。人間が社会に奉仕すると、怪物的な巨大国家が生まれてしまう。
現時点で全世界を脅かしているのはまさにそれです。
神話とはなにかを問えば、神とはなにかを問うことになる。
神とは、人間の生命の営みの中でも、また宇宙内でも機能している動因としての力、ないし価値体系の擬人化です。
あなた自身の肉体のさまざまな力と、自然のさまざまな力との擬人化です。
神話は人間の内に潜んでいる精神的な可能性の隠喩です。
そして、私たちの生命に活気を注いでいる力と全く同じものが、世界の生命にも活気を与えているのです。
テクノロジーの発展した現代において、なぜ神話が必要なのでしょうか?そんなものは、インチキまがいだと思う人もいるかもしれません。ですが、そうではないのです。神話という価値体系は、人間の生命維持に無くてはならないものなのです。芸術や文化とも密接に関わっています。いわば神話とは「人の精神を支える基盤」とも言えるものなのです。
神話的イメージは、ほとんど無意識のうちに世代から世代へと受け継がれる。それがなんとも魅力的なところですね。
人間の精神は基本的には世界中どこでも同じだということです。
みんな同じ器官を持ち、同じ本能を持ち、同じ衝動を持ち、同じ葛藤を経験し、同じ不安や恐怖を抱くのですから。
この共通の基盤からユングが元型(アーキタイプ)と呼んでいるものが出てきました。
そういう神話的イメージは、ほとんど無意識のうちに世代から世代へと受け継がれます。
神話はいつでもそのことを告げてくれます。
天国も地獄も私たちの中にありますし、あらゆる神々も私たちの内に生きています。
それらは拡大された夢であり、夢は葛藤している様々な肉体エネルギーがイメージの形で現れたものです。
神話というのは、肉体器官のたがいに衝突し合っているエネルギーが象徴的イメージ、隠喩的イメージの形で顕現したものです。
神話は心理学とも密接な関係があります。心理学の権威ユングは、人には「集合的無意識」があることに注目しました。誰であれ無意識の深層には、神話的な共通のパターンがあるというものです。ユングはこれを元型(アーキタイプ)と呼びました。
我々はもはや旧石器時代の狩人の世界に住んでいる訳ではない。
しかし、我々の肉体や精神構造は古代の暮らしに負うところが大きい。
原始時代の狩猟生活の頃に、神話的な想像力が生まれました。
洞窟の壁画などに見られる、原始的な芸術作品がどっと現れたのです。
最も初期の神話的思考の現れは死と関連しています。
死者を墓に埋葬するということ。死について考え始めたのです。
人間以外の動物は、死についてくよくよと考えることはありません。
狩猟は人間と動物との一種の契約とみなされました。
単に動物を殺すことではなく、それ以上の意味を持っています。
狩人は動物を仕留めたら儀式を行います。
殺された動物への敬意を示すものであり、人間は命を捧げてくれる動物のおかげで生きていると認識するためのものです。
狩人は動物を神とみなしています。神を殺すのです。
その罪は神話によって拭い去られます。狩猟を個人の行いではなく、自然の定めに従った仕事と捉えるのです。
我々は動物を下等なものと捉えがちです。しかし、原始時代の人々はそうではありませんでした。
自然崇拝は世界中の神話に見られます。日本神話もまさにそうです。自然と対立するのはキリスト教などの一神教です。
心配せずに自分の至福を追求せよ。そうしたら思いがけないところで扉が開く。
そうなれば、あなたのいまの生き方そのものが、あなたのあるべき生き方になるのです。
自分の至福を追求すると、無上の喜びに行きつく。
自分のやりたいことを一度もやれない人生に、一体どんな値打ちがあるでしょう?
私はいつも学生たちに言います。
君たちの体と心とが欲するところへ行きなさいと。
私と他者とは一体である。
人は他者の危機や苦痛を目にしたとき、命がけで救おうとすることがあります。
それこそ人間の生命の真実だからです。
英雄とは、この真実の知覚に従って自己の肉体的生命を投げ出したもののことです。
人々は常時、世界の中で生命を運びながら、お互いのために無私の行動をとっているのです。
自分の至福を追求せよ。それが、キャンベルが説き続けた思想信条でした。
なぜ神話には英雄の話がこんなに多いのでしょう?
それは、語られるだけの価値がそこにはあるからです。
神話の中には、英雄が何かしらのヴィジョンを求めて旅立つという型のものがあります。
この英雄の旅には決まった行動パターンがあります。
いろんな民族の異なった神話に、基本的に同じ探究が見られます。どの民族の神話でも同じ型です。
まるで同じ人物が千の顔を持って、いくつもの物語に登場しているかのようです。
心理的未成熟の状態を抜け出て、自己の責任と自信とに支えられた勇気を持つためには、いったん死んでよみがえることが必要です。
より豊かな、より成熟した状態に達するために生命の源泉を見つける。
これが普遍的な英雄の旅の基本的なモチーフです。
あらゆる若い人たちが生きていく上で大事な問題は、可能性を示唆してくれるようなモデルを持つことです。
人間は自分をどう扱ったらいいのか分からない動物です。
生きている神話は、その時代にふさわしいモデルを与えてくれるのです。
神話は私たちに、苦しみにどう立ち向かい、どう耐えるか、また、苦しみをどのように考えるかを語ります。
死の恐怖を克服することは、生の喜びを取り戻すことでもあります。
恐怖の克服は生きる勇気を沸かせます。
ジョーゼフ・キャンベルは、映画界にも非常に影響を与えました。映画監督のジョージ・ルーカスも、キャンベルに強く影響を受けたひとりです。キャンベルの発見した神話のパターンを、映画『スター・ウォーズ・シリーズ』に採り入れたというエピソードはよく知られています。
偉大な女神についての神話は、あらゆる生き物に対する慈悲の心を教えてくれる。
古代メソポタミアでもエジプトのナイルでも、もっと古い社会においても、神話の支配的な像は女神です。
女性は時間と空間そのものであり、その奥にある神秘はあらゆる対立物のペアーを超えています。
あるでもなく、ないでもない。しかし、あらゆるものが彼女の内にある。
あなたが見ることの出来るあらゆるもの、それは女神がつくり出したものです。
宇宙万物の母である偉大な女神による啓示は、生きとし生けるものすべてへの慈愛を教えています。
私たちはそこでまた、地球そのものの疑いようのない神聖さを崇める気持ちになります。
地球は、大地は、女神の体だと教えられるからです。あなたの体は女神の体の一部です。
こういう神話の中に、宇宙との自己同一の認識があるのです。
女神の神話そのままの科学理論が「ガイア理論」です。地球そのものを一つの生命体と捉えるものです。
「ぼくは妻を与えられるのではなく、自分で勝ち得なければなりません。」
聖杯伝説におけるパーシヴァルの言葉
愛を個人と個人の関係として最初に捉えたのが、12世紀の吟遊詩人たちでした。
それまで結婚は家族や社会によって取り決められていました。
それを吟遊詩人は個人対個人の関係と考えました。
それまでの愛はエロスやアガペーと言った没個性的な愛でした。
教会は政治的、社会的な性格を持った結婚だけを正当と認めていました。
一方で、吟遊詩人たちはアモールという個人的な愛を、最高の精神的経験であると自覚していました。
個人と個人の愛。それは不可解で苦しみが伴うものです。
しかし、この吟遊詩人によって歌われたものは、西洋の社会では愛の理想的な形として広く行き渡っていきます。
それは人間的な個人的な経験です。人間性とは何か、人生とは何か。
それは西洋を偉大なものにしている基本的な思想であり、他のすべての伝統と違っているものだと思います。
吟遊詩人たちが生み出した個人の認識は、ルネサンスの時代にヒューマニズム(人文主義)として芽生えます。そして、西洋世界における最も重要な価値観として根付いていきました。
神話のイメージは私たちひとりひとりが持っている精神的な潜在力の反映です。
われわれはそれを熟考することで、そうした力を自分の生活の中に呼び起こすのです。
私たちのまわりには休みなく色々なものが生まれています。
世界には生命が注ぎ込まれます。それは尽きることのない源泉から注がれています。
人は神話的なイメージによって象徴された力と一体になります。
それは自己を宇宙の中心と一体化させることです。
永遠とは終わりのない時間ではありません。
永遠は時間を超越しています。天国や地獄が永遠なのではありません。
永遠はいまここにあります。
あなたの人生の中にあるのです。もしいまここで永遠を体験しないなら、決して体験出来ないでしょう。
人はよく生きる意味や生きる目的を求めます。
私は生きることに意味や目的があるとは思いません。すべての生命は同じです。存在し生き続けるだけです。
私たちは目的にとらわれ内面的な価値を忘れているのです。
ただそこにある「いま生きている」という無上の喜びを忘れている。
あなたの至福を追求しなさい。
重要なのは目的ではなく人生という旅そのものです。神話はそれを教えてくれるのです。
『神話の力』を初めて読んだときの衝撃はすさまじかったです。
様々なインスピレーションの連続でした。そして衝撃と共に大変な励ましにもなりました。
「あなたの至福を追求しなさい」というキャンベルの思想信条ともいえる言葉には、大変に勇気をもらいました。
そして並外れた教養と面白さに満ちた、神話に関するストーリーに引き込まれました。
いま読んでみても全く古びていません。むしろ現代社会においてこそ求められているものではないでしょうか。
ジョーゼフ・キャンベルが見出した、神話の生きた機能や役割は、全人類の宝ともいうべき価値あるものだと思います。
神話はいつの時代も変わらない、人間の普遍的な精神性を語ってくれます。
それは生命讃歌であり、生活の知恵の物語なのです。