そもそも印象派とは一体何でしょうか?
それは19世紀のヨーロッパで花開いた、革新的な芸術運動です。
それまでのアカデミーの伝統や常識を打ち破り、全く違う形での表現方法を確立したのです。
美術史上においても、非常に重要な転換点でありました。
ここでは、そんな印象派をわかりやすく解説していきます。
僕は大学で西洋史を専攻していました。西洋の歴史や文化なら任せてください。
19世紀後半のヨーロッパにおいて、これまでにない新しい芸術運動が起こりました。
瞬間の印象をとらえて表現するその特徴から、印象派と呼ばれることになります。
それまでのアカデミーの伝統に縛られない、新しい芸術表現の開花であり、美術史においても極めて重要な変化でした。
その革新的な表現方法は、印象派の芸術家たちによって、確固たるスタイルとして確立していきます。
まずは、その特徴を詳しく見てみましょう。
印象派と呼ばれるこの芸術様式は、光の分析からその変化に応じた色調の変化を表現しました。
一瞬一瞬の変化する光の印象です。
科学のめざましい進歩という時代背景とも重なり、芸術家たちは光の印象を巧みに捉えることに成功しました。
細部の正確さよりも、全体的な視覚効果を重視したものといえます。
正確で緻密なデッサンを重視するアカデミーの伝統とは、根本的にそのスタイルが異なるものでした。
それは瞬間瞬間の動きと色彩、それらを明るく変化させて表現される、いわば光の効果のアートです。
正確なデッサンよりも、目の前の景色が織りなす、光の印象を重視した訳ですね。
アトリエを出て戸外制作を始めたことも、印象派の大きな特徴です。
それまでの芸術家たちは、風景画でもすべてアトリエで制作していました。
その慣習にとらわれず、戸外の自然光の下で、光の効果を詳しく観察したのです。
肉眼が捉える主観的な光の印象を、そのままキャンバスに再現することを目指しました。
19世紀に入り、チューブ絵の具が発明されたことも大きな要因です。
人々の実生活の様子を描いたことも、印象派の大きな特徴です。
写実主義や自然主義からの影響も引き継いでいました。
この時代は産業革命により、近代的な市民生活が形成されていった時期です。
その生活様式や暮らしぶりが、芸術表現にも大きく関わるようになっていったのです。
これは文化の中心が、王や貴族から市民へと移っていった、時代の変遷だと言えるでしょう。
19世紀中頃の万国博覧会への出品などをきっかけに、日本の文化がヨーロッパで注目を集めます。明治維新の前後、日本から大量の浮世絵、屏風、染め物などが欧米に流出し、大いにもてはやされました。これをジャポニスムと言います。当時の芸術家たちのインスピレーションに多大な影響を与えました。
印象派の芸術家たちは、ロマン主義の豊かな色彩、自然主義の緻密な観察を受け継ぎ、更に新しい地平を切り開いていきました。
アカデミーの伝統に縛られず、自由で新しい芸術表現を確立していきます。
また歴史画や宗教画といった伝統的な題材ではなく、市民の暮らしや自然を描きました。
またフランスが印象派の運動の中心地でした。
代表的な芸術家は、マネ、モネ、ドガ、ルノワール、シスレー、ピサロ、ゴッホなどです。
エドゥアール・マネは、印象派の指導者ともいえるフランスの芸術家です。
それまでの美術界の伝統や常識にとらわれず、自由で大胆なタッチで作品を描きました。
『草の上の昼食』、『オランピア』といった作品が、当時において論争を巻き起こしました。
マネを中心として、その後の印象派を担う若手芸術家たちが集い、交流を深めました。
また、印象派を代表する女性芸術家のベルト・モリゾは、マネの弟子であり作品のモデルもよく務めました。
マネは文豪ゾラとも親しく、その肖像を描いています。
カフェ・ゲルボワは、19世紀のパリにあったカフェで、当時の芸術家たちが集い交流する場でした。マネを中心に、モネ、ドガ、ルノワール、バジール、シスレー、ピサロなどそうそうたる顔ぶれが揃います。画家だけでなく、文豪ゾラや写真家ナダールなど、様々な文化人が集いました。
クロード・モネは、印象派を象徴するフランスの芸術家です。
その作品『印象・日の出』が、印象派の名前の由来にもなりました。
モネは特に戸外制作を重視しました。
固有色ではなく、光の変化を受けて目に映る「印象」をキャンバスに再現することを追求します。
季節、天候、時刻など、その瞬間ごとに変わる景色の様子をとらえようとしたのです。
物体というより光そのものを主役として、明るく臨場感のある作品をつくり出しました。
モネの作品は、どことなくジブリっぽい雰囲気があります。
カフェ・ゲルボワに集った芸術家たちを、その地区名にちなみバティニヨール派と呼びます。その中の一人であった文豪ゾラは、美術評論家でもあり、印象派の独創性にいち早く気づいていました。当初こそ印象派は、社会から誹謗の声ばかり浴びました。そんな中でもゾラは、熱心にその価値と芸術性を擁護しました。
エドガー・ドガは、印象派を代表するフランスの芸術家です。
戸外制作を特徴とする印象派の中で、ドガは室内における都市生活の様子を中心に描きました。
何気ない一瞬の表情や、その場における空気感を切り取って表現することに、卓越したセンスを持っていました。
また、パステルを用いた描画も特徴的です。
バレエをテーマに扱った作品が多く、舞台裏での踊り子たちの姿をありのままに描きました。
ドガは裕福な生まれで、オペラ座の会員でした。そのため楽屋や稽古場に自由に入れました。
印象派では女性芸術家も活躍しました。その代表がベルト・モリゾならびにメアリー・カサットです。当時の女性の生き方、家族の様子などを豊かな感性で描き上げました。
ピエール・オーギュスト・ルノワールは、印象派を代表するフランスの芸術家です。
モネやピサロらと共に、印象派の芸術運動の中心を担いました。
柔らかなタッチで、いきいきとした市民生活を描き出しました。
印象派の様式だけでなく、生涯に渡り様々な画風の変遷を見せます。
その自由でのびのびとした作風は、その後の芸術家たちにも大きな影響を与えました。
ルノワールは、モネやバジールやシスレーなど、仲間の様子もよく描いています。
フレデリック・バジールは、印象派の中心を担ったフランスの芸術家です。裕福な生まれで経済的余裕があったため、絵を買ったり、自分の借りたアトリエを使わせたりして、仲間の芸術家たちを支援しました。普仏戦争に志願し、28歳の若さで戦死します。
アルフレッド・シスレーは、印象派を代表する芸術家でフランス生まれのイギリス人です。
モネやルノワールらと共に、印象派運動の中心人物でした。
大胆でのびのびとしたタッチで、あるがままの日常の風景を鮮やかに描きました。
その作風はモネと並び、印象派のスタイルを最もよく表していると言えます。
シスレーは、その作品のほとんどが風景画なのが特徴です。
カミーユ・ピサロは、印象派を代表するフランスの芸術家です。
モネ、ルノワール、ドガ、ピサロなどと印象派の芸術運動を主導しました。
スーラやシニャックと共に、点描を用いた新印象派にも一時加わります。
農村と都市それぞれの風景を、あるがままに描き上げました。
ピサロの作品は、やや高い目線から俯瞰したものが多いです。
スーラやシニャックといった芸術家が確立した、点描画法による新しいスタイルを新印象派と言います。鮮やかな色彩の点描によって、画面を構成するスタイルです。
印象派を代表するオランダの芸術家が、フィンセント・ファン・ゴッホです。
ゴーギャンやセザンヌらと共に、ポスト印象派とも呼ばれます。それまでの印象派とは異なる芸術表現を生み出しました。
あるがままの現実の上に、自身の心から湧き出る印象を乗せて描いたのです。
写実性よりも、自己の感覚的なイメージを表現することを重視しました。
強烈な色彩と、荒々しく大胆なタッチが特徴です。
ゴッホの切り開いた芸術表現は、後のフォービスムにつながっていきました。
そして、その後の多くの芸術家に影響を与える存在となりました。
ゴッホは美術史上でも、最も有名な芸術家と言えるでしょう。
ゴッホは今でこそ有名ですが、当時の社会的な評価は、ほとんどありませんでした。しかし、同時代の芸術家たちは、ゴッホの存在感や才能に気づいていました。同時代を生きたゴーギャン、ロートレック、ラッセルなどが、ゴッホの肖像を描いています。
印象派という芸術運動を、詳しく紹介しました。
それは美術史上においても、非常に重要な転換点でした。
伝統や常識に縛られない、自由で革新的な美の追求です。
そして現代において、印象派は最も有名で、人気のある芸術様式のひとつとなっています。