岡本太郎をご存知ですか?
「芸術は爆発だ」など数々の名言でも知られる、とても著名な芸術家です。
『太陽の塔』や『明日の神話』など、数多くの作品を残しました。
そして僕にとっては、人生において最も影響を受けた人物の一人です。
その価値観、人生観、精神性は、どこまでも己を貫き、同時に己と闘い続けるものでした。
現代においてもまるで古びない、むしろ一層に輝きを放つものです。
そんな岡本太郎の名言が詰まった名著、『自分の中に毒を持て』から、選りすぐりを抜き出しました。
見やすく要約してまとめてあります。
社会的状況や世間体と闘う。同時に自分自身とも徹底的に闘う。
カッコウにとらわれそうになったら自分を叩き潰してやる。
命を賭けて運命と対決する。その時、切実にぶつかるのは自分自身。
己が最大の味方であり、また敵なんだ。
すでに慣れた、見通しのついた道を行くか。何か危険を感じる、先の見えない道を行くか。
危険な道をとる。危険だという道は、必ず自分の行きたい道なのだ。
頭で考えてはいけない。
毎日の日常の中、瞬間瞬間が選択の連続だ。
本当に生きるってのは、覚悟を決めること。
青年は己の夢にすべてのエネルギーを賭けるべき。
挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままでの不成功者では、全く天地の隔たりがある。
自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまう。
むしろ、まずくいった方が面白いと考える。
そうやって自分の運命を賭けていけば、命がパッと開く。
何かを貫こうとしたら、体当たりでぶつからなければダメだ。
本当に生きるとは、いつも自分は未熟だという前提のもとに平気で生きること。
ストレートに認めてみる。
諦めるのではない。自分を認めるのだ。
何かを必ず見つけようと、頑張る必要はない。
軽く素直に動けばよい。
何かこれと思ったら、まず他人の目を気にしない。自分の目も気にしない。
情熱に条件なんて無い。無条件に生きる。
力まずに、心の動く方にまっすぐ行く。
安全な道のりを選ぶと何も出来なくなる。
自信なんてどうでもいい。
そんなもので行動したらロクなことはない。
他と比較して自分を決めるなどという卑しいことはやらない。
まわりに気をつかいながら、カッコよくイージーに生きようとすると、人生を貫く芯が無くなる。
ただ自分の信じていること、正しいと思うことに突き進むだけだ。
情熱があるから行動できるんじゃない。
逆だ。何かをやろうと決意したから、意思もエネルギーも吹き出してくる。
自信はなくても、とにかくやってみると決意する。ひたすらにやってみる。
それだけでいい。また、それしかない。
そんな余計なことは考えず、本当に今やりたいことに全身全霊をぶつけて集中する。
自分の運命を賭ければ、必ず意思がわいてくる。
他人にどう思われようと、どう言われようと自分自身の信念を貫く。それがプライド。
他に対してではなく、自分自身に対してプライドを持つ。
みんなに悪く思われたくない、というのは自分がかわいい一念なのだ。
みんな自分を大事にしすぎる。自他に甘えているんだ。
自分の在り方を外に突き出していない。
孤立してもいいと腹を決め、自分を貫いていく。
自分を大事にしすぎているから、色々と思い悩む。
そんな大事にしないで、好かれなくていいと決心し、自分を投げ出してしまうのだ。
人類全体の痛みをちょっとでも感じる想像力があったら、幸福というのは有り得ない。
自分は幸福だ、なんてヤニさがっているのはとても卑しい。
自分のまわりだけを見て、その他のことは一切目をつぶって見ることもせず、自分は幸せだと言えるのはエゴイストだけだ。
エゴイストにならなければ「しあわせ」では有り得ない。
それに絶望してしまったら負け。その矛盾の中でおもしろく生きようと発想を変える。
この世に苦しみ悩んでいるのは決して自分だけじゃない。
世の中のほとんどの人が、同じ悩みを持っていると言っていい。
人生うまくやろうなんて利口ぶった考えは、誰でも考える。
それは大変卑しい根性だと思う。
自由に明朗に、あたりを気にしないで、のびのびと発言し行動する。
社会や周囲の全部が否定的であればあるほど行動を起こす。
激しく挑み続けても世の中は変わらない。
しかし、世の中は変わらなくても自分自身は変わる。
闘い続けることが生きがいなんだ。
闘いでなければ愛ではない。
自分がその人を好きだという、その気持ちに殉じればいい。
お返しを期待せず自分の心を開くことで、自分自身が救われるはずだ。
恋愛だって芸術だって同じだ。全身をぶつけること。
結婚という形式に縛られた男女は、互いに人間の可能性を潰し合う。
結婚が人間を卑小な存在にしている。
緊張も無くなり双方安定してしまうので、もはや燃えるものはない。
恋愛とは無条件のものだ。
そこに打算が入ると、やはり身を売っていることになる。
運命的出会いと結婚は全然関係ない。結婚は形式であり、世の中の約束ごと。
男と女のセクシュアルな出会いというのは自然そのもの。
もっと自然のままに平気で振る舞えばいい。
男と女が広場的に開放された場で出会う。スッぱだかの人間的協力関係を持つ。
密着していると同時に離れている、純粋な関係を保っていく必要がある。
己を大事にするから弱くなってしまうのだ。
自分自身を突き飛ばせばいいのだ。
自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。
人生とは一瞬一瞬である。人生、即、芸術。
人間が生まれてきて、一番痛切につかみとらなければいけないのは「生命感」だ。
何でもいい。見物人ではなく、とにかく自分でやってみよう。動いてみよう。
生身で運命と対決して歓喜するのが、本当の生命感なんだ。
システムの中で安全に生活することばかり考えていては、生命の緊張感を失い逆に虚しくなる。
強烈に生きることは常に死を前提にしている。
死に対面する以外の生はない。
死という最も厳しい運命と直面して、はじめて命が奮い立つのだ。
結局はどれだけ自分の夢に向かって挑んだか、努力したかではないだろうか。
死と対面し対決するとき人間は燃え上がる。それは生きがいであり歓喜だ。
本当に生きるとは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命を切り開いていくこと。
自分の信念、筋を貫くことだ。
岡本太郎の言葉は、今見ても全く古びません。
時代の流行などには一切とらわれない、人間の普遍性に訴えているからでしょう。
その珠玉の名言の数々は、今を生きる人々にも多くの励ましや勇気を与えていると思います。