「この国はどこかおかしい」
日本で生きていれば、誰でも感じると思います。
理由は分からなくても、既にみんな気づいているんです。
ここで明確にその原因を紹介したいと思います。
それは自己責任論と財政破綻論です。
この二つが最凶最悪のコンボです。生きづらさの根本原因です。諸悪の根源です。
そして、嘘偽りにまみれたデタラメでもあります。
この二つを徹底解説していきます。
なぜこの国が生きづらいのか、明確に分かると思います。
この現状を打破することが、何より重要な課題だと言えます。
日本社会の生きづらさの根本的な要因は何でしょうか?
ハッキリと具体的に、これだと言えるものがあります。
それが、自己責任論と財政破綻論です。
この二つはセットです。刺身に醤油、とんかつにソース、ぐらいのセット具合です。
お互いを補完し合う、最凶で最悪のコンボです。
この国の生きづらさや閉塞感を生む、諸悪の根源であると断言出来ます。
この二つが生み出すのは破滅だけです。未来や希望を潰すものなんです。
そう言える確かな根拠が揃っています。
それをこの国では、あろうことか政府が主導しています。
つまり、政府が自ら国家的な自殺を続けているのです。
それにより生み出されたのが、超長期に渡るデフレ不況です。
国家経営の最高機関である政府が、間違い続けているんですね。
生きづらくなるのは必然です。閉塞感が満ちるのは当然です。
長年に渡る間違いを、あろうことか国民の自己責任にすり替えているんです。
財政破綻とは、政府が債務不履行に陥ることです。
つまりは、政府がお金がなくて借金を返せない状況です。
最近では、ギリシアやアルゼンチンが財政破綻しています。
日本も借金が増えると同じようになる!というのが財政破綻論です。
これが、この国における最大最悪の茶番でありデタラメです。
あらゆる問題の根本が、ここに行き着きます。
この最悪のデマを中心になって広めてきたのが財務省です。
財務省がマスメディアや教育まで利用して、国民に刷り込み続けてきました。
事実を言いましょう。
日本は絶対に財政破綻しません。
論理的に破綻しようがないのです。
日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。
外国格付け会社宛意見書要旨より
地球が丸いことや、空が青いことと同じです。ただの客観的な事実なんです。
政府は円をつくることが出来ます。政府の借金は円建てです。
どうやれば破綻できるのでしょうか?
「お金返してー」と言われたら、
「分かった、今つくるわー」で済むのです。
自国通貨発行権というやつです。
つまり、返済出来ないという事態が起こり得ないのです。
と言うか、そもそも政府の借金に返済の必要はないのですが。
単純に考えてください。
お金をつくれるのだから破綻はあり得ません。
小学生でも分かる簡単なことなんです。
それを嘘デタラメで偽り、ややこしく複雑にし、誤魔化し続けている訳です。
「将来世代にツケを回す」「ハイパーインフレになる」などが財政破綻論の決まり文句です。どちらも論理的にあり得ません。
ではなぜ、ギリシアやアルゼンチンは破綻したのでしょうか?
とても簡単です。
ドルやユーロなど、外国の通貨で借金をしていたからです。
ギリシアやアルゼンチンは、ドルやユーロをつくれません。
政府は外国通貨はつくれないのです。
債務が返済能力を超えれば、当然破綻します。
この点を財政破綻論は無視します。
嘘とデタラメで、誤魔化し続けます。何が何でも、財政破綻論が無いと困るからです。
消費税の増税を正当化するために、
あらゆる予算を削りまくる言い訳に、
自己責任論の正当化に、
財政破綻論が必要不可欠だからです。
財政が破綻するー!と言っている財政破綻論そのものが、論理として破綻している訳ですね。
この国を覆う最悪の空気が「自己責任論」です。
やさしさや思いやりが奪われ、弱者や困窮者を真っ先に切り捨てます。
明らかに間違った考えにも関わらず、社会的な常識と化しています。
こともあろうに、政府が自己責任論を唱えて主導しているためです。
「あなたの生活が苦しいのはあなたの責任です。あなたの頑張りが足りなかったからです」
典型的な自己責任論はこんな感じですね。
言ってやりましょう。クソ喰らえと。
総務省の調査で、全世帯の6割を超える世帯が、生活が苦しいと答えています。
国民の半数以上が、頑張りが足りていないとでも言うのでしょうか?
もちろん違います。
10ゼロの割合で市民のせいではなく政治のせいです。
まず政府が、どうしようもないほど間違い続けているのが原因です。
政府の間違いを、一人一人の自己責任にすり替えられ続けているのです。
新自由主義という思想が自己責任論の根本にあります。
税金を徴収している政府が、自己責任論を語ってはいけません。
お前何のためにいるんだよ、と突っ込まなくてはいけません。
そもそも、税金で飯を食ってる政治家が自己責任論を語るなど、図々しいにも程があります。
いかに国民を守り豊かにするかが政治の仕事です。
何でみんなそれを指摘して、文句を言わないのでしょうか?
理由は財政破綻論です。
馬鹿げた自己責任論も「財源がない」と言えば正当化出来るんです。
恐ろしいですね。
「財源がない」これがマジカルワードな訳です。
そう言われると、仕方がないと大抵の人は諦めてしまいます。
よく出来ています。
自己責任論は財政破綻論と必ずセットです。
最凶で最悪のコンボなのです。
普通じゃないことを、普通かのように振る舞えるのです。
例えば、料金を払って利用しているサービスに、
「今ちょっとお金無くて何もできないんですわー。自己責任でヨロです。」
と言われたら、腹が立たないでしょうか?
それと同じことを政府はしています。
財源問題を出せば、諦めさせることが出来るからです。
「みんな諦めてるんだから、お前も諦めてねー」という感じです。
なので、自己責任論と財政破綻論は最凶セットなんです。
あらゆる不公平や理不尽を、誤魔化し正当化します。
財源問題は壮大な茶番劇です。お金をつくれるのに、財源がないと言っているんです。「は?」と言うべきです。
困っている人を真っ先に助けるのが、本来の政府の役目です。
おめでたいことに、その真逆をやっています。
日本では困っている人ほど、真っ先に見捨てられ切り捨てられます。
その愚行を正当化するためのツールが、財政破綻論と自己責任論なのです。
自己責任社会の特徴と言える財源論とコストカットです。
みんな財源とは税金で、余裕がないと思わされているからです。
だから、切り捨てやすい弱者からどんどん見捨てられます。
弱者を救っていたら、自分に回ってくる予算が減る恐れがあるからです。
何とか自分だけでも生き抜くためです。人を思いやる余裕がないのです。
困窮者や弱者は「財源を圧迫するコスト」な訳です。
明らかな愚行ですが「財源がない」と言えば正当化出来るのです。
誤った財源論が、助け合いの社会を壊し続けているのです。
現在では、非正規、失業者、生活保護、ひとり親、学生などがバッシングの対象として代表的です。
性暴力被害者の女性が、謂れの無いバッシングを受けることすらあります。
このように、自己責任社会とは生きづらさが極まった社会です。
まず事実を知らないといけません。
財源問題など無いのです。お金はつくれるのです。
故に、自己責任論はただのダサい間違いなのです。
政府が分かってないだけです。
分かっている人たち、気づいた人たちは、行動を起こし始めています。
思いやりや優しさ、親切や助け合い、それが本来あるべき社会の基本です。
弱者や困っている人ほど、優先的に助けるべきなんです。
それこそが生きやすい社会につながります。
なぜなら、国民こそが国家にとって最も重要なものだからです。
財政破綻論と自己責任論によって、この国はボロボロにされました。
では、それを打破するにはどうすればいいのでしょうか?
まず決定的に重要なのが、事実を知ることです。
そして、「助け合い」という当たり前を基本にした社会を形づくることです。
今は自己責任論のおかげで、真逆ですよね。
より多くが事実を知っていけば、必ず社会はその方向に向かえるはずです。
正しい事実を知れば、お金は問題じゃないと気づくからです。
政府はお金をつくれる。故に財源は問題ではないのです。
であれば本当に考えるべき大切な問題とは何なのか?
本当に大切なのは人です。この国に生きるひとりひとりです。
人を大切にして、どう守り豊かにしていくか。それが国を豊かにするということです。
当たり前のことですが、多くの人が忘れています。
財政破綻論や自己責任論という、間違った固定観念を打破するときです。
国とはそこで生きる人々によって出来ているのです。
ワンピースでも言ってましたよ。
人々が豊かにならなければ、国も豊かななりません。
人々が困窮しているということは、国が弱っているということです。
今必要なのは「正しい事実に基づく助け合いの社会」なんです。
それは当たり前のことを、当たり前にできる社会です。
誰ひとり見捨てない、切り捨てない社会です。
金ではなく人が中心の社会です。
重要なのは、それは理想論や夢物語ではなく、現実的に可能だということです。
明確な根拠があり、日本という国が本来の力を発揮すれば、十分に出来ることです。
であれば、やってやればいいだけです。
あとはひとりひとりが気づき、考えて行動していくだけでしょう。
財政破綻論と自己責任論が、いかに最凶最悪のコンボかを解説しました。
根拠からして破綻しているデタラメが、社会常識になってしまっているのです。
そして、それを政府が主導して続けたことで、生きづらさが極まった訳です。
事実を知ること、ひとりひとりが自分でよく考えることが決定的に重要です。
少しずつですが、確実に変化は起き始めています。
正しい事実に基づく助け合いの社会。
それが基本になれば、この国を世界一生きやすい国にすることだって可能です。