自己責任論って知ってますか?
この国では一般にも広く浸透した考え方ですよね。
ハッキリ言って自己責任論はう○こです。
そもそも根本的に自己責任論は間違っているんです。
誤った価値観や経済観、嘘やデタラメの上に成り立っているものなんです。
明確な根拠と共に否定することが出来ます。
それを分かりやすく解説していきたいと思います。
というか単純に、自己責任社会は誰にとってもよくありません。
だからダメなんです。
なぜこの間違った考えが、ここまで社会全体に広まったのでしょうか?
一体いつどのようにして生み出されたのでしょうか?
ここでは、財務省先生と一緒に詳しく見ていきたいと思います。
財務省先生、よろしくお願いします!
はい、よろしくねー。
自己責任論とは一体何でしょうか?
まず「自己責任」の意味を辞書で調べてみました。
じこ‐せきにん【自己責任】
1 自分の行動の責任は自分にあること。
2 自己の過失についてのみ責任を負うこと。
大辞泉
自分の行動の責任は自分にある。自分の過失についてのみ責任を負う。これには特に違和感は感じません。
ああそうだねー。
では次に「自己責任論」の意味を調べてみます。
まず、出版されている正式な辞書に「自己責任論」という言葉は載っていません。
つまり、正式な日本語ではないということです。ウェブ上の個人辞書には載っていました。
自己責任論
自分の行動の結果として危機に陥ったのなら、自分で責任を負うべきであり、他人に助けを求めるべきではない、といった論理を基調とする考え方。危険であることが事前に予測できたにもかかわらず、危険を顧みずに敢行したのだから自業自得だとする考え方。
辞書の自己責任とは随分と違いますね。厳しく突き放すような印象です。
ああそうー。
自己責任論が言われ出したのはいつ頃からでしょうか?
その時一体何があったのでしょうか?
自己責任論なんて、昔はありませんでした。あるとき急に出てきましたよね。
ああそうー、そうかもねー。
自己責任論にはハッキリと明確な始まりがあります。
自己責任論が声高に叫ばれ出したのは2000年代からです。
時の政府は小泉政権です。
この時代において、自己責任論は生み出され、瞬く間に広がりました。
政府は「官から民へ」をスローガンに、年金改革や医療制度改革、生活保護費の削減、社会制度の縮小を実施しました。
公営事業の民営化、グローバル化の促進、規制緩和による競争促進を進めました。
政府の政策自体が、自己責任による自由競争を推進しているんです。
これは今もずっと引き継がれています。
そして見事なまでの「自己責任社会」を創出していきました。
そもそも、政治が自己責任論を語ってはいけません。
ああそうー。うーん、そうなのかねー。
自己責任論は過激になりがちです。
自業自得、助けなくていい、税金の無駄などなど。
度を超えて、常軌を逸したものになることもしばしばです。
なぜ自己責任論はこんなに歪んでいるのでしょうか?
そもそも自己責任論は日本オリジナルです。
自己の責任、という考え方はどの国にもありますが、「自己責任論」は日本特有のものです。
困窮者や弱者を主な対象としてバッシングするのは、日本社会独特の現象なんです。
生活保護、失業者、非正規、低所得者、シングルマザー、ホームレスなどが代表的ですね。
世界的に見ても他国にそうした文化は無く、かなり特異で異質なものです。
非常に恥ずべき文化です。
そもそも、権力側が説明責任という自己責任を全く果たしていません。
ああそうー。何だろうねー。
なぜ日本において、この特異な文化が生まれたのでしょうか?
それは紛れもなく政治の責任です。
もちろん、まんまと乗っかった我々国民の責任もあります。
しかし、中心となって始めたのは、紛れもなく権力者たちです。
市民の間で、自然発生的に生まれたものではありません。
まず、説明責任という文化があまりないところに、アメリカ型の新自由主義を無理矢理ねじ込みました。
欧米はキリスト教文化なので、元々「弱者救済」を美徳としています。
しかし、日本は違います。
どちらかというと「あるがまま」というのが東洋思想です。
そこに、自己責任による競争原理だけ持ってきたらバランスがおかしくなります。
そして、小泉政権下において、政治家はことあるごとに個人の自己責任に関して言及しました。
イラクの邦人人質事件が代表です。
生活保護バッシングも小泉政権が始まりです。
生活保護の受給者への批判を、こともあろうか政治家が始めたんです。
生活保護の受給イコール悪、イコール恥のイメージを生み出しました。
う○こ過ぎて話になりません。
ちなみに生活保護の不正受給は全体の2%以下です。
ああそうなのー。うーん、何だろうねー。
この時を皮切りに、困窮者へのバッシングが常態化していきます。
ホームレス、非正規雇用、生活保護受給者、シングルマザーなどを標的に
「彼らは好きでその状態を選んでいる、だから助ける必要はない」
といった具合の自己責任論が一般大衆の間でも広く跋扈するようになりました。
あろうことか、犯罪の被害者が標的にされることもしばしばです。
性暴力被害者が、謂れのない激しいバッシングに合うことまでありました。
とことんまで「弱い者」「困っている者」を標的にする訳ですね。
まさに、常軌を逸しています。
そこに気高さや誇り高さは微塵もありません。嫌悪感や不快感しか感じません。
しかし、日本はこうした自己責任社会が極まっています。
それはまさに、生きづらさが極まった地獄そのものです。
自己責任論を語る政治家は必要ありませんね。
ああそうー。えっマジで?
自己責任論が広まったのは、政治が主導したからに他なりません。
そして、自己責任論を分析する際に重要なキーワードが「新自由主義」です。
新自由主義とは、平たく言うと企業経営の様に国家経営をしようとすることです。
そして、それを本格的に導入したのも小泉政権という訳です。
新自由主義により、日本だけでなく世界中で格差や貧困が拡大しました。
ああそうー。ふーん。
新自由主義では自己責任を基本に小さな政府を推進します。
公共サービスの縮小、公営事業の民営化、グローバル化の促進、競争の促進、労働者保護の廃止などが特徴です。
新自由主義では自己責任による緊縮財政が基本です。
なるべく政府は何もしないから、自分のことは自分でやってねー、という感じです。
自由とは名ばかりの責任放棄主義なんです。
誰にとっての自由かというと、多国籍企業などの大企業です。
そして政府は新自由主義を進めるために、自己責任論の空気をつくりだしたという訳です。
新自由主義を推進するために「自己責任論」というツールをつくり出したんですね。
ああそうー。ふーん。
そして、新自由主義は完膚なきまでに間違いです。
国家がやるべきことは全く逆です。
「国家経営と企業経営を同じものだと思い込んでいる」
これが新自由主義の決定的な誤りです。
新自由主義で国家経営を続けると経済状態がボロボロになります。
この国の現状がそれを証明していますね。
新自由主義を推し進めてきた結果が、超長期に渡るデフレ不況なんです。
新自由主義によってもたらされたのは深刻な不況です。マスコミでは言いませんが、日本の経済成長は世界最悪です。
ああそうー。うーん、ヤバいねー。
自己責任論は新自由主義とセットであるということ。
そして、その新自由主義が国家経営として完全に間違いであるということ。
つまり、
自己責任論は根本的に間違っているんです。
自己責任論が語られる時には、決まってお金の話がつきまといます。
自己責任で困っている奴に税金を使うな、という考え方です。
予算の財源は税金である。
なので予算には余裕が全くない。
何かに財源を使えば他の何かが削られてしまう。
故に高額納税者ほど偉く、貧乏人ほどコストである。
なので、税金を無駄遣いするな。
といった主張です。
要は、財源論を後ろ盾とした困窮者バッシングですね。
政治家を中心に、政府にあまり頼るなという旨の発言が繰り返されてきました。
財務省先生、やっと出番ですよ。お金の話です。
ああそうー。うーん、どうしようかねー。
困っているのは努力が足りないからだ。
自己責任で困っている者を税金で助ける必要はない、
という訳です。
はい、う○こです。
困ったとき政府に頼るのは、憲法で保証された国民の権利です。
なぜこうも冷酷で間違った考えになるのでしょう?
主な理由として、
間違った貨幣観による財政破綻論があります。
財政破綻論とは「政府の借金が増え続ければいつか破綻する」という考え方です。
財政規律!財政健全化!プライマリーバランス!とかです。
これは完全な財務省によるデマです。
なぜなら、政府は円を発行できるからです。
この財政破綻論により「財源は税金である」「政府にお金の余裕はない」という誤った認識にハマります。
どれもデタラメの財政破綻論による誤った認識です。
財源は税金だけではありません。
政府には自国通貨発行権があるからです。
必要なだけ国債を発行して円をつくればいいだけです。
破綻の可能性も将来のツケになる可能性もゼロです。
つまりどういうことか?
自己責任論はその後ろ盾の財源論からして間違いだ、ということです。
財源に関する議論は、MMT(現代貨幣理論)によって活発になっていますね。
ああそうー。
自己責任論と財政破綻論は最強セットです。
刺身に醤油、とんかつにソースくらいのセット具合です。
馬鹿げた自己責任論も、財政破綻論があるために平然とまかり通ることが出来るんです。
これにより、自己責任論で困窮者をバッシングすることも許されてしまいます。
といった具合が困窮者バッシングの主張です。
つまり、困窮者を救えば救うほど、自分たちに回る予算が削られる。
という風に思い込まされているんですね。
「困っている人は助ける」それが当たり前です。それがこの国では「困っている人は見捨てる」に変わりました。
ああそうー。何だろうねー。
困窮者を切り捨てまくる政府に批判がいかないトリックがまさにこれです。
財政破綻論は自己責任論を強化・正当化する役割を持つ、ということなんです。
そして、大衆も率先して困窮者バッシングを繰り広げてきました。
皮肉としか言いようがありません。
困窮者バッシングは自らの首を絞めるのと同じです。
誰にとっても良いことがありません。
これが行き過ぎて暴走しているのが、日本特有の自己責任社会という訳です。
恐らくほとんどの人が、嫌というほど味わっていると思います。
ちなみに生活保護バッシングが起きるのは日本くらいです。海外記者の目にはかなり異常に映っています。
ああそうー。うーん。
本来批判するべきは困窮者ではなく政府です。
また、政府を批判するにしても「税金を無駄遣いするな」という見当違いの批判ばかりなんですね。
無駄になっているのはお金ではありません。
「国民」という何より貴重な資源です。
本来するべき批判は「困っている人をちゃんと救え」です。
嘘とデタラメで人々を騙し、間違い続けているのは政府なんです。
新自由主義、緊縮財政、消費税の増税、派遣法の拡大、社会保障の削減、
すべて政府による間違いです。
結果として国はボロボロになりました。
政府は自己責任を取りましたか?
バッシングされ叩かれ続けたのは困窮者です。
本来真っ先に救うべき人々です。
政府の間違いを、自己責任論によって国民に責任転嫁され続けているんです。
財政破綻論は財務省が中心になって広めたプロパガンダですよね。
ああそうだっけー。
「財源がない」これがマジカルワードです。
これを言えば大抵の人は諦めさせることが出来ます。
財源が無いならどうしようもない。普通はそう考えるからです。
ハッキリ言います。財政破綻論は嘘です。
日本は絶対に破綻しません。
なぜなら、政府は円をつくれるからです。
財務省自らが日本の財政破綻は有り得ないと断言しています。
日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。
外国格付け会社宛意見書要旨より
ちなみに、ハイパーインフレが起こる懸念もゼロに等しいです。財務省先生もそう言っています。
ハイパーインフレとは急激な物価上昇です。
敗戦国や途上国で起きるもので、先進国で発生した例はありません。
国内の供給能力が壊滅的な状態であることが発生条件だからです。
財務省は日本が財政破綻しないことを分かっていますよね。それなのに財政破綻論を広めるのは何故なんですか?
ああそうー。まあ何だろうねー。
訳の分からない理屈を持ち出し、話を複雑にし、財政破綻という不安を煽っているだけです。
何のためにでしょうか?
まず、消費税の増税の大義名分のために不可欠だからです。
そして、自己責任論の正当化に欠かせないからです。
本当にしょうもないですね。
自己責任論を支えるものは、新自由主義や財政破綻論です。
嘘やデタラメや破滅です。
つまり、自己責任論とは様々な間違いやデタラメで塗り固められた破滅的なシロモノな訳です。
まさに、う◯この詰め合わせスペシャルパックといった感じです。
いやマジで、う○こと言う他ありません。
財務省先生ありがとうございました。さすがでした。
はい、どうもありがとうー。
自己責任論のう○こぶりを見てみました。
いやー、本当にう○こですね。
う○こすぎて、最早う○こにすら失礼なのではないかと感じるほどです。
まず自己責任論は、新自由主義や財政破綻論と共にあります。
これらは全て、どうしようもない間違いなんです。その先には破滅しかありません。
実際に、その破滅が現実になっていますよね。
つまり、自己責任論はダサい上に間違いなんです。
論理的な根拠と共に、完璧に否定が出来るんです。
形容する言葉がないほど、酷いシロモノな訳です。
早々に見切りをつけて、おさらばしましょう。
自己責任社会は、誰にとっても良くありません。