西洋美術史

そもそも中世ヨーロッパとは何か?その本質からよくわかる解説!

今もヨーロッパの至るところに、中世の面影が残っています。

ですが、そもそも中世とは一体何でしょうか?

何となくはわかっていても、具体的にそれが何かわかるでしょうか?

そこでここでは、中世とは何か、その基本わかりやすく解説したいと思います。

僕は大学で西洋史を専攻していました。西洋の歴史や文化なら任せてください。

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中世ヨーロッパとは何か?

そもそも中世ヨーロッパとは何でしょうか?

一般的に中世とは、西洋史における時代区分の一つです。

古代のあとで、近世の前の時代になります。

西ローマ帝国の崩壊から、ルネサンスや宗教改革に至るまでを指し、5世紀から15世紀までの約1千年の期間です。

中世を読み解くポイント

① キリスト教会の勢力拡大

② 封建制と騎士制度の定着

③ ゲルマン人の移動と広まり

ちなみに英語では、”the Middle Ages”、”Medieval Times”などと言いますよ。

ポイントを抑えながら、中世が一体どういう時代だったのか見ていきましょう。

『ビジュアル図鑑 中世ヨーロッパ』

キリスト教会の勢力拡大

中世を語る上で欠かせないのがキリスト教です。

ローマ帝国の末期において国教とされてから、キリスト教はヨーロッパ中に広まっていきました。

続くフランク王国でも受容され、さらにその勢力を拡大すると、各地に教会が建てられました。

そして教会は、王族や貴族に匹敵するほどの、絶大な権力を握ります。

教皇を頂点とする、ローマ・カトリック教会の発展です。

かくして中世の文化には、キリスト教の影響が強くあらわれています。

またそれ以降の西洋社会における、文化的•精神的な基盤となっていきました。

キリスト教は、現代においても世界最大の宗教です。

『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ?』

十字軍の遠征

中世キリスト教世界が行ったものとして、最も有名なものが十字軍の遠征でしょう。

聖地エルサレムを、イスラム世界から奪還するために行なわれた、軍事遠征でした。

教皇権の強大化、イスラム世界の台頭、人口増加などを背景にしながら、巻き起こったものでした。

この運動は、11世紀末から13世紀末まで、およそ200年間にも渡って繰り返されました。

それでも聖地を取り戻すことはできず、教皇権の失墜、諸侯や騎士の没落、荘園制の解体などが進みました。

『十字軍物語(一~四)合本版』

レコンキスタ

イスラム勢力に支配されていたイベリア半島においても、国土回復運動が起こっていました。これをレコンキスタと呼びます。この運動は、800年あまりの長きに渡り続きました。そして、1492年のグラナダ陥落によって、イスラム勢力からイベリア半島を完全に奪還しました。

『スペインレコンキスタ時代の王たち: 中世800年の国盗り物語』

中世の没落

中世のはじめに、著しい文化水準の没落と停滞が起こりました。

キリスト教会が、ギリシア、ローマ文化を排斥したためです。

自然科学などを追いやり、神学を最高の学問としたのです。

この文化の断絶は、西洋社会の進歩を大きく遅らせるものでした。

「大翻訳時代」•「12世紀ルネサンス」

西洋が学問を取り戻すきっかけとなったのが「大翻訳時代」または「12世紀ルネサンス」と呼ばれる時代です。

これは当時最も進んでいた、イスラム世界から流入した学術書を、大量に翻訳していった運動のことです。

シチリア王国やカスティリヤ王国(スペイン)の宮廷で、知識人たちの手によって、イスラムの文献が次々と翻訳されていきました。

古くから海上交易が盛んで、国際色豊かな地域であったことも要因です。

これにより、古代ギリシア・ローマの学問を呼び戻すだけでなく、イスラム世界の進んだ科学も取り入れていきました。

また、こうした学問の復興による刺激も伴い、この時代において大学が生みだされました。

この時代において、ボローニャ大学、パリ大学、オックスフォード、ケンブリッジなど、今日にも残る有名大学が設立されていきました。

『十二世紀のルネサンス ヨーロッパの目覚め』

都市の発展

中世には商業の活発化により、各地に都市が成立•発展していきました。また有力な都市は、自治権を獲得していきました。この中世都市の構造を見ても、中心には教会が位置しており、その重要性が伺われます。

封建制と騎士階級

中世の時代には、主君と臣下という封建的主従関係が広まりました。

主君は臣下に対して、保護や封土を与えます。臣下は主君に対して、忠誠や軍役を捧げます。

古代ゲルマン人の従士制度と、古代ローマの恩貸地制度に起源を持つとされます。

この封建制は広く普及し、中世における社会システムの基盤となりました。

騎士階級の成立

またこの封建制のもとで、騎士という身分が新しく成立していきます。

騎乗して戦う者の意味で、主君に仕える戦士階級だと言えます。

生まれながらの身分ではなく、叙任の儀式を経て、騎士身分への加入が認められました。

中世と共に生まれ、中世と共に消えていった、まさにその象徴とも言える様な存在です。

中世の吟遊詩人たちは、騎士のあるべき理想的な姿を「騎士道物語」にして歌い上げました。

「騎士道物語」としては『アーサー王物語』が代表的です。その武勲や恋愛が扱われました。

『アーサー王物語 1 』

現代にも残る騎士の称号
大英帝国勲章 ナイト・グランドクロス星章

今日のヨーロッパにおいても、中世の騎士階級は「ナイト (Knight) 」の称号として、その名残を残しています。王室や教皇などが叙任するもので、イギリスの大英帝国勲章などが有名です。

馬術の発展

4世紀に中国で発明された鎧(あぶみ)が、7世紀頃にヨーロッパにも伝わりました。

鎧とは馬具のひとつで、乗馬の際に足を乗せて、身体を安定させるためのものです。

馬上での安定性が増すので、騎兵の機動力、戦闘力が飛躍的に向上していきました。

かくして騎兵は戦闘の主役となるに至り、また騎士の発展にもつながっていきます。

荘園制の広まり

封建制と並び、中世を代表する制度が荘園制です。

これは領主と農奴の支配隷属関係を基本とした、社会システムのことです。

領主の支配する土地に住む農民は、労役や生産物を納めていました。

古代ローマ時代のコロナートゥス制を起源にしているとされます。

また重量有輪犂の利用、三圃制農業の普及などにより、農産物の生産力が向上していきました。

ゲルマン人の移動と広まり

中世において重要な役割を果たしたのが、ゲルマン人です。

西ローマ帝国の崩壊や、ヴァイキングの侵攻など、その後の西洋世界の形成に大きく影響しました。

ゲルマン人とは、古代においてスカンディナビア半島、アイスランド、デンマーク、ドイツなどに広がっていた民族の総称です。

古代ローマ時代、「ゲルマニア」と呼ばれる北部の地域に住まい、ローマ帝国からも独立を保っていました。

カエサルの『ガリア戦記』にも記述され、その存在は古代ローマの時代から重要なものでした。

民族大移動

そのゲルマン人は、4世紀に民族大移動を始めます。

これは中央アジアに現れた、フン族という遊牧騎馬民族に押される形で起こりました。

この民族大移動が、西ローマ帝国崩壊の要因のひとつとなったとされます。

かくして、フランク、ゴート、アングロ・サクソンなど、様々なゲルマン系民族が、各地に広がっていくことになったのです。

そしてドイツ、イギリス、北欧諸国をはじめ、今日のヨーロッパにおける主要な民族的ルーツとなりました。

フランク王国と西ヨーロッパ世界の形成

フランク王国は5世紀頃にゲルマン系民族が建国しました。キリスト教を受容し普及させ、カール大帝のもとで、西ヨーロッパ全域を支配する巨大国家となりました。その後王国は分裂し、9世紀のヴェルダン条約・メルセン条約によって3つに分割されます。これにより現在のフランス、ドイツ、イタリアの領土が出来上がりました。

ヴァイキングの侵攻

9世紀頃から、ノルマン人を中心とした北方のゲルマン人たちが活動を活発化させます。

これが俗にヴァイキングと呼ばれる、ノルマン人たちによる侵攻です。

各地で略奪を行う一方で、商業活動も盛んに行なっていました。

中世において商業が活発化した、要因のひとつとされます。

かくしてノルマン人たちが、ヨーロッパ各地に定住していくことになりました。

『北欧神話』は、北方ゲルマン人たちが信仰した神話体系です。

『ヴァイキングの歴史 創元世界史ライブラリー』

ノルマン系王朝の設立

各地に広まったノルマン人たちは、ノルマン系の王朝を建国していきました。シチリア王国、ノルマンディー公国、キエフ公国、イングランドのノルマン朝などが代表的です。「バイユーのタペストリー」には、当時のノルマン人たちの様子が、あざやかな刺繍画で描かれています。

『北欧神話の教科書』

まとめ

中世とは何か、わかりやすく解説しました。

それは1千年にも渡る、西洋世界の紡いだ歴史です。

キリスト教会の勢力拡大、封建制と騎士制度の定着、ゲルマン人の移動と広まりが、中世を読み解くポイントです。

それでは、ご覧いただきありがとうございました。

中世ヨーロッパの教科書