実は中世以前のヨーロッパには、騎兵という存在がなく、戦う時は馬を降りるのが普通でした。戦闘は徒歩で行うものだったのです。
そこに変化が訪れます。4世紀に中国で発明された鐙(あぶみ)が、7世紀頃にヨーロッパにも伝わりました。
鐙とは馬具のひとつで、乗馬の際に足を乗せて、身体を安定させるためのものです。馬上での安定性が増すので、騎兵の持つ機動力、戦闘力が飛躍的に向上していきました。
こうした鐙をはじめとした馬具の発展により、騎兵が誕生・発展していくことになります。これにより、軍隊における戦闘のスタイルが大きく変わっていったのでした。
そして、騎兵は主にフランク王国の時代において、その重要性を高めていったと考えられます。騎兵部隊を整えて、その発展に大きく寄与したのがカール大帝とされます。おそらく9世紀の頃には、騎兵は軍隊の中で主要な位置を占める様になっていました。
また、騎兵の発展をもたらした別の要因として、東方から侵入したマジャール人たちの存在があります。マジャール人とは、ウラル山脈南西部を現住地とする遊牧騎馬民族です。
ヴァイキングがヨーロッパを荒らしまわっていたのと同じ時代に、マジャール人たちも侵入を繰り返していました。彼らはハンガリー平原に移住し、そこから各地へと繰り出しました。
特にドイツ(東フランク王国)はその脅威にさらされます。歩兵中心のドイツ軍は、騎兵を駆使した奇襲戦法が得意なマジャール人の軍隊に圧倒されます。
マジャール人は、ドイツ王国をほとんど意のままに蹂躙し、現在のスイスやイタリア北部まで侵略しました。
この状況を変えたのが、重騎兵の編成です。ドイツは、重騎兵の訓練と装備の向上に努め、軍隊の構成を根本から一新したのです。
そして、ドイツの重騎兵による集団突撃戦術は、軽装備のマジャール騎兵を圧倒しました。以後、マジャール人の西方への侵略が止まります。
かくしてヨーロッパにおいて、騎兵は戦闘の主役となるに至り、また騎士階級の発展にもつながっていきました。