中世ヨーロッパの農業は、単に人々の食料を生産するだけでなく、社会や経済の発展を支える重要な基盤でした。

この記事では、中世ヨーロッパで農業がどのように発展したのかを、新しい農具と農法に焦点を当てながら、その仕組みや歴史的な意義についてわかりやすく解説します。

中世ヨーロッパの教科書

中世ヨーロッパの農業と開墾

中世ヨーロッパにおいては、農業生産力の飛躍的な向上が起こりました。これにより人口も増加していきます。

ヨーロッパの自然環境は、温暖な気候と最適な降雨量という、農業には理想的とも言える条件に恵まれていました。

また同時に、地形的にも恵まれており、生産性の高い広大な大地を開拓することが可能でした。そして中世の期間にゆっくりと、巨大な森林が切り開かれていき、ヨーロッパの風景は変化していきます。

開墾作業には修道院が中心的な役割を果たし、率先して取り組みました。修道士たちの勤勉さは、中世ヨーロッパにおける開拓において、非常に重要なものだったと言えます。

とりわけ、戒律の中でも労働と学習を重んじた、シトー派修道会の活動が有名です。自ら農具をとり農民らを指導して、森林に覆われていたフランスの開墾や、新農法の普及を行いました。

農具の改良

中世において農業の生産力が上がったのには、いくつかの理由がありました。

それにはまず、農具の改良がありました。10世紀以降、金属製の農具が広く使われる様になり、以前よりもはるかに有効に土地を活用できる様になりました。

その代表が車輪をつけた鉄製の犂(すき)の利用です。鉄製の重い有輪犂を牛や馬に引かせることで、農地を深く耕すことが可能になり、さらに多くの土地を活用できる様になりました。鉄製の犂の重みを車輪が支えることで、家畜の疲労を軽減させました。

この鉄製の有輪犂の装置は、モールドボード・プラウとも呼ばれます。モールドボード・プラウは中世で一般に広く普及し、農業における生産性を高めていきました。

新たな農法

さらに、新しい農法として三圃(さんぽ)農業が普及していき、より多くの作物を収穫できる様になります。

これは農地を三つに分割し、それぞれ農地を順番に活用していく方法です。秋まき作物の耕地と、春まき作物の耕地、そして何も植えない休耕地の三つに農地を分けます。これにより土壌の回復が促され、より農作物を有効に生産できる様になりました。

加えて、新しい作物が導入されたことも、生産拡大の要因でした。中世ヨーロッパでは、穀物だけでなく、豆類なども大量に栽培される様になります。エンドウ豆や空豆といった豆類が栽培されました。

そして、マメ科植物の根に着生する根粒菌は、植物の三大栄養素のひとつである窒素を増やします。こうして土壌に還元される窒素が増えることにより、農地を豊かにしながら、耕作のサイクルを回すことが出来る様になったのです。

荘園制の拡大

また封建制と並び、中世を代表する制度に荘園制がありました。これは領主と農奴の支配隷属関係を基本とした社会システムのことです。

領主の支配する土地に住む農民は、労役や生産物を納めていました。この荘園制が、中世ヨーロッパの農村における基本的な社会のあり方でした。また、荘園制は古代ローマ時代のコロナートゥス制を起源にしているとされます。

そして封建制と荘園制が統合されながら、中世ヨーロッパの社会構造が形づくられていきました。