ゲルマン人の移動とは?民族大移動からフランク王国の成立までを解説

中世ヨーロッパを理解するために、ゲルマン人のことを紹介したいと思います。
ヨーロッパには様々な民族が存在しますが、中世において決定的な役割を演じたのが、このゲルマン人です。
この記事では、民族大移動が起こった背景から、西ローマ帝国との関係、そしてフランク王国の成立までを、流れに沿ってわかりやすく解説します。
ゲルマン人とは
ゲルマン人とは、古代においてスカンディナビア半島、アイスランド、デンマーク、ドイツなどに広がっていた民族の総称です。基本的には、ヨーロッパ北部に居住していた民族でした。
ゲルマン人は農耕文化を持ち、農業を中心にした村落社会を築いていました。彼らは戦士としても有名で、ローマ帝国との接触や戦闘もしばしばありました。
古代ローマの歴史家たちは、ゲルマン人を「野蛮人」として描写することがあります。しかし彼らは、実際には高度に組織化された社会を築いていました。
カエサルの『ガリア戦記』、タキトゥスの『ゲルマニア』にもゲルマン人のことが記述されており、その存在は古代ローマの時代から重要なものでした。
そして中世におけるゲルマン人は、西ローマ帝国の崩壊や、ヴァイキングの侵攻など、ヨーロッパ全体に影響を及ぼす重要な役割を果たすことになります。その後の西洋世界の形成に大きく影響したと言えます。
また彼らの文化や言語は、ゲルマン語族に属しています。ゲルマン語は今日の英語やドイツ語、オランダ語、スウェーデン語などの基盤となっています。
民族大移動
まず4世紀に入ると、ゲルマン人は民族大移動を始め、ヨーロッパ各地に定着しました。
これは中央アジアに現れた、フン族という遊牧騎馬民族に押される形で起こりました。
武力で土地や富を奪う部族もいれば、穏やかに定住しようとした部族もいました。この民族大移動が、西ローマ帝国崩壊の要因のひとつとなったとされます。
かくしてフランク、ゴート、アングロ・サクソンなど、様々なゲルマン系民族が各地に広がっていくことになったのです。
そしてドイツ、イギリス、北欧諸国をはじめ、今日のヨーロッパにおける主要な民族的ルーツとなりました。
このゲルマン人の大移動によって、ヨーロッパの勢力図は完全に塗り替えられていきます。
そしてスペインの西ゴート王国やガリアのフランク王国など、ヨーロッパ各地でゲルマン系の王国が誕生して行きました。
それから相次ぐゲルマン系部族の侵入により、ローマ帝国は弱体化を続けます。そして遂には、476年にローマ皇帝が廃位に追い込まれ、西ローマ帝国は滅亡しました。
この西ローマ帝国の滅亡という世界史上の一大事件が、一般的に古代の終わりであり中世の始まりの区切りとされます。
フランク王国と西ヨーロッパ世界の形成

フランク王国による西欧世界の形成は、ゲルマン人の影響力を象徴する出来事と言えるでしょう。
フランク王国は、5世紀頃にゲルマン系民族が建国しました。キリスト教を受容し普及させると、カール大帝(シャルルマーニュ)のもとで、西ヨーロッパ全域を支配する巨大国家となります。
西ヨーロッパ最初のキリスト教的ゲルマン統一国家として、キリスト教文化および中世の諸制度の母体となりました。
その後王国は分裂し、9世紀のヴェルダン条約・メルセン条約によって3つに分割されます。
これにより現在のフランス、ドイツ、イタリアの領土が出来上がりました。すなわち、今日に続くヨーロッパ世界の形成に、重要な影響を及ぼしたのでした。
それから時代が進むにつれ、ゲルマン人はさらに多くの国や地域や文化に分かれていきました。
彼らの遺産は、今でもヨーロッパの歴史と文化に大きな影響を与えています。





































