中世ヨーロッパの人々は、どのように生まれ、どのように結婚し、そして人生の終わりを迎えたのでしょうか。

この記事では、中世ヨーロッパの人々の人生に焦点を当て、出生やと死、そして結婚のあり方についてわかりやすく解説します。

中世を生きた人々の日常と価値観を通して、その時代の暮らしの実像に迫っていきましょう。

中世ヨーロッパの教科書

生と死

中世ヨーロッパにおけるライフサイクルは、今とは全く異なるものでした。

まず「多産多死」というのが、中世社会の基本的な姿です。女性は多くの子供を産むのが普通であり、また同時に、死は日常生活の一部と言えるほど頻繁に起こるものでした。

中世ヨーロッパでは、まだまだ医術と公衆衛生が未発達だったのです。そのため、せっかく生まれても病気がちで、短命な場合が多くありました。また出産にもかなりの危険が伴います。母子共に出産時に命を落とす確率が、かなり高かったと思われます。

なので、中世ヨーロッパにおいて無事に大人になれたのであれば、幸運な者たちだったと言えるかもしれません。

こうした状況のため、必然的に平均寿命はかなり短く、また結婚年齢も早いものでした。例えば、詩人のダンテは20歳にはもう結婚していましたが、これは比較的よくあることでした。

また死亡率が高かったせいで、女性は夫と死別することが多く、再婚するのが普通でした。

結婚

中世ヨーロッパでは、現在とは比べものにならないほどの多産多死社会だったので、女性の初婚年齢は早く、多くは10代後半には結婚していました。結婚できる最低年齢も男女共に低かった様です。

自由恋愛というよりも、家同士の結びつきなどが重視されました。個人の意見よりも家族の意向が優先されます。

貴族などの有力者の場合は、政略結婚が当たり前でした。死亡率の高い幼児期を過ぎた5〜6歳で婚約させることもしばしばでした。

しかしながら、結婚が人生の一大転機だったことは現代と変わりません。結婚の宴は、村や街をあげての一大イベントとして盛り上がりました。

キリスト教と結婚

そしてキリスト教においても、結婚は重要なものとして扱われています。洗礼や終油などと同様に「秘跡 (サクラメント)」の一つとされ、司祭立会いの下で行われる、重要な儀式とされました。

秘跡とは、キリスト教において、神の恵みのしるしとして信徒に施された儀式のことです。カトリック数会では、12世紀頃に「洗礼・堅信・聖体・告解・結婚・叙階・終油」の7つに定められました。

プロテスタントでは「礼典」と呼ばれ、洗礼と聖体のみを行います。また正教会では「機密(ミスティリオン)」と呼ばれます。

人々は所属する教区教会で秘跡を受け、祝祭を行うことで人生の画期としました。

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