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中世ヨーロッパの城とは?その構造や攻城戦をわかりやすく解説

中世ヨーロッパの城は、王や貴族が暮らす豪華な住居であると同時に、敵の侵攻から領地を守るための強力な要塞でもありました。

高い城壁や深い堀、見張り塔などが備えられた城は、中世の戦争において重要な軍事拠点として機能していました。

この記事では、中世ヨーロッパの城の役割や構造を解説するとともに、攻城戦の実態や攻城兵器の仕組みなどについてわかりやすく紹介します。

中世ヨーロッパの教科書

中世ヨーロッパの城

中世ヨーロッパにおける城は、兵士たちの基地であると同時に、領主の個人的な住居や、公務の本拠ともなりました。

そもそも城とは、敵の襲撃を防ぐための軍事上の防衛施設のことです。西洋では特に10世紀頃から、内戦やヴァイキングの襲撃に対しての防御のために造られました。

領主の居館を囲む城郭、それに付属する都市や集落を囲む市城があり、他に防御のための各種の砦などが設けられました。

そして、城を築くには巨額の資金と、長い年月を要します。領主と石工の親方が、建築に適した場所と築城計画を考えました。

また、大量の石材やレンガの運搬、また漆喰のために大量の石灰、砂、水も必要でした。通常、こうした材料や労働力をととのえるのは領主の役目でした。

なので中世ヨーロッパの城は、教会建築と並び、当時の権力者たちの力の象徴であったと言えるでしょう。

城のつくり

中世初期の城は、土塁や木材の柵でできたものが多く、それから次第に石材やレンガが用いられるようになりました。

城は攻めづらくするため、険しい地形に設けられることがよくありました。周囲には銃眼(敵を射撃するための小さな窓)のある城壁が張り巡らされ、所々に塔が立てられます。

こうした城壁によって取り囲むつくりを、集中式城郭またはカーテンウォール式城郭と言います。

城外との交通は城門によってのみ行い、外濠のある場合には跳ね橋が架けられました。城壁内には領主の住居のための主屋、兵の居住部分、鐘楼等があります。

攻めてくる敵にとって最初の障害は城の周囲にめぐらされた濠でした。ときにはこれに杭をたくさん打ち込んで、敵の動きを鈍らせ、狙い撃ちしやすくします。

水濠はそれほど多くはありませんが、これによって城壁の下にトンネルを掘らせないようにできました。

城門は必要不可欠なものですが、要塞における防御の弱点でもありました。そのため、どっしりとした堅牢なつくりが用いられます。

門扉には鉄製や木製の落とし格子が備え付けられ、門外には堀や跳ね橋などが設けられました。

いったん落とし格子を落とすと、門楼を攻め落として内部の機械装置を操作しないかぎり、外すことは困難でした。

また跳ね橋は、正面の足場を取り払えるので、手っ取り早く敵を城門に近づけない様にできました。

攻城戦

中世ヨーロッパの戦争には、主に野戦と攻城戦の2つの種類がありました。

そして攻城戦というのは、まさに中世を象徴する様な戦争の形と言えるでしょう。城や城塞都市が数多く建設された中世ヨーロッパにおいては、その攻略が戦争において重要な位置を占めたのです。

城を攻撃するときは、まず城内の人々に正式に降伏を求めます。交渉というのは地味ですが、損害を最小限にできる有効な戦略です。

また奇襲や忍び込み、あるいは密通などによっても、城は奪取することができます。どんなにりっぱな要塞も、防御が手薄だったり裏切り者たちに門を開けられたりすれば、ひとたまりもありません。

これらのいずれもが失敗に終わった場合、城攻めによる作戦に移行されるのでした。

攻城兵器

直接的に武力を投じる城の攻略には、様々な戦法や専用の攻城兵器が使われました。

城門を打ち壊すためのラム(破城槌)、城壁を破壊するためのカタパルト(投石機)や大砲、巨大なクロスボウ、城壁に登るための攻城やぐらなどが使われました。

これらの攻城兵器はどれも非常に大型であり、運用にはかなりの人員と資金が必要でした。そのため、基本的に城攻めというのは、王や諸侯などの有力者だけが行えるものだったと言えます。

また、攻城戦においては、各種の専門的な技術兵が必要でした。坑道掘りや塹壕掘り、射出兵器を扱う砲手といった者たちです。華やかで目立つ騎士とは違い、地味で目立たない存在ですが、中世ヨーロッパの攻城戦においては、重要な役割を担いました。

なりふり構わない戦法

戦闘が長期化していくと、しばしば残虐な手法も用いられました。

例えば、巨大クロスボウで捕虜の死体やその一部を、城壁越しに放り込みます。相手側の士気をくじこうとするものです。また、病死した動物を同じように放り込んで、感染症の拡大を狙うことなどもありました。

戦闘が長く続き、早く決着をつけたいあまり自暴自棄になっていくと、そうした手段がとられがちでした。これは現代の戦争においても同じだと言えます。

また、城を取り囲んで誰も出入りさせず、兵を飢えさせて降伏させようとする、いわゆる兵糧(ひょうろう)攻めもあります。

兵糧攻めにできないこともないですが、あまり賢い戦法ではありませんでした。食料の問題は、攻めている側にも重くのしかかるからです。

ほとんどの城では少なくとも数ヶ月分の糧食を備えており、さらに食べさせなければならない人員は、包囲する側の方が多いことが普通でした。なので兵糧攻めは、万策尽きたとき仕方なく実施するものだったと言えます。

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