中世ヨーロッパでは、疫病の大流行と農民の反乱という大きな出来事が、社会を大きく揺るがしました。
この記事では、ペストをはじめとする疫病が中世ヨーロッパに与えた影響と、その後に起こった農民の反乱について、当時の社会や経済の変化を交えながらわかりやすく解説します。
14世紀になると、ヨーロッパでは様々な疫病が広く流行しました。
ペスト(黒死病)がよく知られていますが、実際には他にも、チフスやインフルエンザ、天然痘なども広まり、多くの人々の命を奪っていました。麦角菌に寄生された小麦やライ麦を食べて起こる、麦角中毒も流行していました。
ヨーロッパ全体としては、これらの疫病で人口に占めるかなりの割合が死亡したと推計されています。状況は地域によって様々でしたが、14世紀の時期にヨーロッパが、非常に大きな打撃を受けたことは確かです。
医学が発達していなかった中世ヨーロッパの人々にとって、疫病という見えない敵は最も恐ろしい存在だったと言えるでしょう。
これにより一種の集団ヒステリーが発生し、ユダヤ人の虐殺といった蛮行も起こりました。危機的な状況において暴力や差別が増えるのは、今も昔も変わっていません。
ペストについては、一部では肺ペストも見られましたが、主に流行したのは腺ペストでした。線ペストは、主にリンパ節をペスト菌に侵されるものです。また、ペストが黒死病と呼ばれるのは、感染者の皮膚が内出血して黒ずむためです。
フィレンツェの詩人ボッカチオは「病気の最初の徴候は股の付け根や脇の下にできる腫瘍で、並のリンゴほどの大きさのものや卵ほどの大きさのものもある」と書き残しています。
ペストの主な感染経路は、ネズミなどについたノミが媒介したほか、空気感染も起きていたとされます。
ペストをはじめとした疫病の流行によって、中世ヨーロッパ社会全体で不安や緊張が高まりました。
そこに百年戦争による疲弊も合わさり、様々な混乱や対立が生じました。その最たるものが農民の反乱です。
フランスで起こったジャックリーの乱と、イングランドで起こったワット・タイラーの乱がその代表です。
ジャックリーの乱は3万人以上の死亡者を出し、ワット・タイラーの乱は一時ロンドンを占拠するほどの勢いを見せています。
疫病や戦争など様々な社会不安が広まる中で、王や領主たちが新たな税などを課したことが直接的な要因でした。そして、すでに暮らしが耐え難いものとなっていた農民たちの不満が爆発する形で、反乱運動が一気に巻き起こっていったのでした。
また逆説的ながら、人口激減による労働力不足は、農民の地位を向上させます。労働人口が大幅に減ったことで、生存した農民がより貴重な存在になったからです。さらに土地の所有権や耕作権も獲得していきました。
そして農奴身分から解放されて、自由農民になる者が増加していきました。これにより農奴解放が進んでいき、領主による伝統的な荘園制は衰退していきます。また同時に、中世ヨーロッパで長らく続いてきた、封建制も揺らいでいったのでした。